母親のひらめきと的確な判断によって髄膜炎から復帰できた妹

今から20年以上前になりますが、4月の中頃、当時高校2年生の妹が家に帰ってくるなり高熱のせいですぐに寝込んでしまいました。私も母親もおそらく風邪で数日間ですぐ治るだろうと思っていました。

しかし1週間ほど経過してもなかなか熱は下がりませんでした。そこで母親はもしかして髄膜炎ではないかと思って、大きな病院で精密検査をしました。母親の予想は的中し、髄膜炎だと診断されて、そこの病院での入院生活が始まりました。その治療にもかなり時間がかかり、退院して学校に行けるようになったのは、6月ぐらいです。中間テストは受けることはできませんでした。学校に復帰してからも体力が回復するまでは、早退したりしていました。私はそのような妹の状況が心配になって会社の人たちに相談しましたが「まだ若いので遅れはいくらでも取り戻せるよ」と励ましてくれました。

その後、妹は順調に事が運び、大学入試もうまくいき無事就職もできてその後遺症は全くないです。妹はそういった経験からか看護師となったのですが、人生とは何がきっかけになるかわかりませんね。それにしても母親がすぐに気づいたことには尊敬します。もし気づくのが遅くて治療が遅れると、脳に障害が残っていて普通の社会生活を営むことさえ難しかったかもしれません。最悪の場合、命さえ落とすこともありえます。

あの時、近所の病院にそのまま通い続けていると、元通りの生活に戻ることができなかったかもしれません。母親の的確な判断が弟を救っいましたが、病院選びは本当に大切だと痛感しました。最初に通っていた近くの内科は日にちがかなり経過しても髄膜炎の疑いをほとんど示していませんでした。母親が動いたおかげで、重い腰を上げてようやく大きな病院を紹介してくれたのです。

後に母親はあの内科は今一つで、私が言わなければずっと放置されていたかもしれない、と怒りをあらわにしていました。やはり自分の病院で治療の限界を感じるならば、紹介状を書くなりしてふさわしい病院を紹介するべきです。あの時、母親のひらめきがなかったなら、妹の人生はみじめなものだったと思います。一生障害を背負って生きていくリスクもありました。しかし今は普通に生活ができていることから、本当に母親に大きく救われたと思いました。

そんな、母の判断で救われて看護師となった妹ですが、横浜市で派遣看護師として働く私のアドバイス※求人探し方のコツというサイトを利用して派遣看護師として働いているようです。子供が小さいので、派遣で働く方が融通が利いていいのだとか。便利な世の中になったものですね。